師走に置いてかれる

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小市民の日々『冬季限定ボンボンショコラ事件』

『冬季限定ボンボンショコラ事件』および『小市民シリーズ』のネタバレに注意

 

 

 

 

 

米澤穂信による小市民シリーズ第6冊目であり、長編四部作の掉尾として2024年に刊行された本作。同シリーズとして2020年に巴里マカロンの謎が刊行されたが、これは短編集であったため、長編としては2009年刊行の秋季限定栗きんとん事件から15年越しの完結編となる。

 

 

栗きんとん事件までの着地点

そもそもとして、栗きんとん事件を通して二人はある程度の答えを見つけているのでは。それは妥協案といえるようなものであったかもしれないが、小鳩くんも小佐内さんも、今の時点では、お互いがお互いに必要であり、それが結局のところ、小市民を目指すうえでの最善だとしていたはずだ。

小市民を目指す者たちという命題に対して、栗きんとん事件を経てたどり着いた境地はある程度の強度を持っており、シリーズとしてここで終わったとしても、明かされていない事実は残っているが、それでもあまり問題がなかったのではないか。

それでも完結編であろう冬季を出すのであれば、勝手な想像ではあったが、私は二人が結局のところ小市民であり、それとは形容できない、およそ特別な者ではないということを、絶対的に突きつける話になると思っていた。

 

罪の整理

小鳩くんと小佐内さんの、小市民を目指すきっかけになったという過去。小鳩くんによればそれは罪であり、明確に古傷でもあるという。これは巴里マカロンまでの時点で、シリーズファンであれば誰でも承知している部分であっただろう。

春季限定いちごタルト事件が刊行されてから20年、ついに明かされたその過去は、本人が言うように間違いなく失敗という以外にない。彼の知恵働きは明確に日坂祥太郎を傷つけ、その知恵働きも、堤防の密室から逃げた点で万能ではなくなった。

加えてそれが及ぼしたかもしれない影響に、3年後の小鳩常悟朗は晒されることになる。最悪の結果にはならなかったかもしれないが、それでも、小鳩くんは自分が及ぼしたことに対して、自覚的にならざるを得ない。

小佐内さんにとっても、中学時代の轢き逃げ事件は失敗であったという。しかしこれはあまり詳細には語られない。単純に復讐が出来なかったことと、麻生野さんに対して不利になったということだと思うが、もしかしたら小佐内ゆきにとって、これが人生で初めての敗北であったりしたのだろうか。

冬季限定ボンボンショコラ事件を経て、結果的に、小鳩くんはこの過去を清算したと言える。しかしそれは、清算できたというカタルシスで満たされるようなものではなく、どちらかと言えば諦念に溢れたものに見えた。

 

小市民可能性

小市民というものを定義してそれを二人に当てはめる場合、小鳩くんには当てはまるのかもしれないが、小佐内さんには当てはまらないという感が、どうしてもある。彼女は、何をもってそうだということは難しいかもしれないが、なにかしらの一番星を掴めるほどに力を持った存在だと言うのは、これまでの物語を知っていれば不自然ではない。

小鳩常悟朗は、知恵が回るしそれに対しても一定の自信があるけれども、成人への過程で、やはり自分の力の限界を感じ取れてしまうという境界にいる者だ。彼が小市民を目指したのは、自分の性分によって二度と失敗をしないためでもあるが、この限界を直視しないためのものでもあるのだろう。そもそもこの精神性自体に、とても小市民性があるようにも思える。

本作において、小市民を目指すきっかけである過去は語られる。しかし、実際に小市民を二人が誓う場面は描写されていない。そのため憶測の域をでないことだが、おそらくそれを言い出したのは小鳩くんで間違いないのではないか。それを持ち掛けられた小佐内さんが、それを承諾するような形で、私たちの良く知る小市民が誕生したと考える。

承諾したのだから、小佐内さんがそれを望んでいるというのも嘘ではないのだろう。しかし、この小市民を目指すという物語で、それを破ろうとするのは決まって小佐内さんではなかったか。

小佐内さんの復讐の性分は、小市民であろうとするモットーと相容れないものだ。彼女は、何かをされたらそれをやり返さないと気が済まない星の下にいて、それは自制と真逆の性質を持つ。

つまるところ小佐内ゆきは、性格が根本から変わるようなことがない限り、小市民になることはほぼ不可能だ。彼女は本質からして小市民ではなく、そしてその力量も伴っている。それはつまり特別な者だ。どれだけ少なく見積もっても、小市民とは決して言えない。

小佐内さんは自分の行く手について、いつか小鳩くん以上の者が現れればそちらに付くだろうと言っている。小鳩くんも同様のことを思っていたが、小鳩くんはおそらく、高校三年間を経た上でなら、小市民であること、特別でないことを完遂できる。対して、前述したように小佐内さんの場合は無理があるのだ。

普通に考えれば当然のことだが、小市民を目指した二人は、同じ存在では決してない。似ているところがあるように見えても、本質的にやはり異なる。きっぱり言うなら、小佐内ゆきは限りなく特別に近く、小鳩常悟朗は普通であること、小市民に寄っている。

 

自己犠牲的ヒーロー

本作の冒頭、小鳩くんが小佐内さんを突き飛ばしたのちに轢き逃げに合う場面で、小鳩くんは自分がヒーローに憧れていたというようなことを独白する。

若干野暮なのかもしれないが、彼が言うヒーローとは身体的超能力や肉体的優位をもつ戦うスーパーヒーローではなく、謎を解くことで虐げられたものや弱者を助く名探偵だろう。

過去を回想し終えた病室で小佐内さんと再会し、感謝を伝えられた時にも彼は独白する。完全無欠なヒーローに憧れたことはあっても、自己犠牲によって人々を助けるヒーローに憧れたことはないこと。しかし自分がそうしたことを。

彼は特別な者ではない。傑出した知恵働きによって人々を救う名探偵には、見えているかもしれないのに届かない。しかし彼は、彼の持つ最大限の力で、確かに小佐内さんを助けたといえる。

小佐内さんは明確に、小鳩くんのことを次善だと言う。彼女が言うには、白馬の王子様のような最善が現れるのを信じているのだと。最善の者であれば、小佐内さんを助けた上で、自分も無傷に難局を凌いだかもしれない。しかしそんな者がいたとして、小鳩くんが憧れたように、颯爽と去る以外あるのだろうか。

 

冬の終わり

一年、一回りの、終わりと始まりを告げる除夜の鐘と共に、物語は幕を引く。やはり気になる事として、小鳩くんは小佐内さんに誘われて京都へ赴くのかというのが、やはり未来に対する最も大きな命題なのだと思う。これは分からない。しかしだからこそ言えるが、分からないというだけなのだ。

小鳩常悟朗は、高校生活の終わりに伴って小市民としての関係性が終わることを、少なくとも危機だとは思っていない。彼は間違いなくそれで当然だと思い込んでいる。その点で言えば、たとえ大学を京都にしなくても彼にとっては問題にならないはずだ。

京都に行った場合は言うまでもなく、それがいつになるかは分かるはずもないが、小佐内さんが最善を見つけるまでは、おそらく高校生活と同じような平穏な日々が、彼を待っているだろう。もっとも小佐内さんが大学で速攻最善を見つけて、一年後には立場がなくなっている可能性は否定できないが。

つまり、小鳩くんに関して言えばどちらの顛末になろうが特段の問題はない。少なくとも、たとえば小佐内さんと別れてしまうことに対する彼の感慨は、直接的には見受けられない。そのため正確なことは言えない。

では小佐内さんはどうだろう。彼女は、たとえそれがスタンドプレイ的な詭弁だったとしても、心が傷つけられたため償ってもらうという、お馴染みの因縁を吹っかけている。これが真実なのか冗談なのかというのは、やはり五分五分ではあるのだが、それでも、それをしてしまったという部分で、小佐内さんは一旦下手にいるのではないか。

小鳩くんは、受験が一年延びたことに対する諦めによるものかもしれないが、小佐内さんがこの先どうしようが特段気にしていない。対して小佐内さんは、前述したように小鳩くんとの関係を断ち切らない行動をとっている。

巡っている。これは今までと同じではないのか。小佐内さんは、復讐の念に駆られていつでも一足先に動く。小鳩くんは、好奇心のためであれ信条のためであれ、彼女によって発生する謎に向かっていく。

小鳩くんにとってどちらを選んでも良いのであれば、それは当然、小鳩くんが決めることが出来るのだ。中学時代の罪も、小市民になるという信条も、そして小佐内ゆきも、鐘の鳴るにまかせて小鳩常悟朗は眠っていく。

 

総括

正直に言えば、読み終わった段階では夏季限定や秋季限定の読後にあったような、楽しさや悲しさによる衝撃は薄かった。ミステリとして特に衝撃というわけでもなく、語り手の小鳩くんが入院しているという構成上、物語の大半が回想であり動きは芳しくない。健吾も最初しか出てこないし、ちょっと気になっていた瓜野くんがどうなったという描写もない。ただただ四部作が終わる寂しさの中で読み終えて、これは良かったのかどうかわからないという気持ちだった。

しかしながら、読み終えて色々なことを考えていけば、間違いなくじわじわと、これは掉尾に相応しい作品だと思えるようになってきている。そしてもっと、小鳩くんと小佐内さんが一緒にいるところを読みたいという気持ちも、ファンならば当然沸いてくる。けれどもそれは危険な気がする。一巡した上で、それでもまた先を描けば、それでは本当に、永遠に終わることがないと錯覚してしまうのではないだろうか。

小佐内ゆきに関しては、分からない。彼女は長編四部作が完結した現在でも、まだまだ底の知れなさを内包している恐ろしい人物ではあるのだ。しかし小鳩常悟朗に関しては、この四部作を通して、彼にとって最も重要な時間を垣間見たというように感じる。

小市民をめぐる物語は、完結におよそ20年の歳月を要した。人が成人になるほどの時を要して完結したというのは、少し途方もないようではある。終わらない物語にも魅力はある。それに甘んじる気持ちも、ごく自然なものだろう。それでも終わらせるというのは、とても怖いことではないかと思う。小市民シリーズを世に送り出してくれた作者に、ただただ感謝したい。